Japan Heritage KISO妻籠宿保存地区
No.30
江戸から42番目の宿場として慶長6年(1601)に制定され、江戸期を通じて宿駅としての機能を果たしてきました。宿場景観地区は、江戸期の趣を今も色濃く残した宿場町。
隣接する馬籠宿(岐阜県中津川市)と、馬籠峠を越える旧中山道史蹟と合わせて木曽路を代表する観光名所として名高い。経済成長に伴い全国の伝統的な町並みが姿を消してゆく中、いち早く地域を挙げて景観保全活動に取り組んだことが評価され、1976年、国の重要伝統的建造物群保存地区の最初の選定地の一つに選ばれました。
江戸と京都を結ぶ中山道は、山深い木曽路を通ることから木曽街道ともよばれていました。中山道六十九次のうち江戸から数えて四十二番目の宿場となる妻籠宿は、中山道と伊那道が交差する交通の要衝として古くからにぎわいをみせていました。
時代が変わり明治になり、鉄道や道路が新たに作られると、宿場としての機能を失った妻籠宿は衰退の一途をたどりました。やがて昭和になり高度経済成長の中、江戸時代の宿場の姿を色濃く残している町並みが見直され、ここに全国に先駆けて町並保存運動が起こりました。妻籠の人たちは町並みを守るために家や土地を「売らない・貸さない・壊さない」という三原則をつくり、ここで生活しながら江戸時代の町並みという貴重な財産を後世に伝えています。